ヨハネ11章28節~46節
「ラザロのよみがえり(2)」
説教 吉永功一
聖書のエキス
前回に続き、イエス様はマルタの妹のマリヤとの対話が載せられています。残念ながらマリヤもマルタと同じように『死んでしまっては希望がない』という考えでした。マリヤ、あなたもか…。そうイエス様は思われたのかと私は想像します。聖書は沈黙していてイエス様は霊の憤りを覚えられたとあります。ラザロの死を悲しんでいると同時に死の前に希望を捨てあきらめている最愛のマルタやマリヤに対する悲しみと怒りを含んだものではなかったかと思ったりするのです。そこには『なぜ、私を信じないのか?私のうちに永遠の命があることを何度も語って来たのに、なぜ信じないのか』と云う無言の言葉があるように思うのです。それは私たちにおいても同じなのではないでしょうか。目には見えないけれど復活の君がおられるのに、そのお方を信じると告白しているのになぜあなたはうなだれているのか。主にあって喜びましょう。それが力です。
ガマ イモジョモ
前から行きたかった、うるま市石川にあるガマに行ってきました。『ケイブ オキナワ』と云うガマで『ぬちしぬじガマ(命をしのいだ洞窟)』と以前は呼ばれていました。それは戦時中地元住民300名が3か月避難するも誰一人亡くならず、ガマの中で男女の赤ちゃんが生まれたことからそう呼ばれるようになったようです。そして私は6月にはもう一つのガマに行きます。ひめゆりの塔が建っているガマです。それはかつての野戦病院で「伊原第三外科病棟」と呼ばれていました。ひめゆり学徒を含む陸軍病院の看護婦や兵士、住民およそ100名が、隠れていました。1945年6月19日の早朝、米軍の毒ガス爆弾が投げ込まれ80名あまりの方々が亡くなられました。彼らの多くは非戦闘員でしたから殺されなくてもいい人たちでした。わたしは、複雑な思いで二つのガマを訪れています。