ヨハネ12章1節~11節

「ナルドの香油」

説教 吉永功一

聖書のエキス 

イエス様は、いよいよ十字架を目指してエルサレムに向かわれます。その途中でラザロをよみがえらせたマルタの家に立ち寄ります それはいつものことですが、今回はラザロのよみがえりのこともあり人々は大歓迎で晩餐会を用意して待っていました。そのような中マルタの妹マリヤがイエス様の前に進んでひざまずき高価なナルドの香油を足にそそいで足を拭きます。部屋は強烈な香りで満たされます。そのような非常識なマリヤの行為に人々は暗黙の非難の目をマリヤに注ぎますが、イエス様はマリヤの行為を褒めます。マリヤはイエス様の言葉に心を傾けて聞きます。そしてイエス様が死を覚悟して進まれていることを知りそれを受け止めます。そして彼女のできる精いっぱいの行為が、埋葬のための油注ぎでした。集まった人々の中でイエス様のことを一番理解していたのはマリヤだったのです。私たちも主の御言葉に心注ぎましょう。

「イエス・ノー」か「本音・建て前」か

わたしの神学校の恩師である湊晶子先生の本で『女性の本当のひとり立ち』と云う本があります。そこから少し内容を紹介します。 先生が渡米して後、勝負を決めなければならない場面に直面したことがあったそうです。その時、うまくゆかなかったことそうです。 『私たち日本人の中には、個人としての意思表示を迫られると歯切れが悪い場合がよくある。「本音」に対して「建て前」というまことに翻訳しがたい言葉が幅を利かすところに、日本的特質が現れていると思う。イエスとノーが何となくはっきりせず、建前が先行していく世界のあることを誰も否定できない。ほんとうのひとり立ちをした女性となるためには、本音が常に自分の意識構造を支配するようにしなければならない。このことは、私の外国生活で最も難しい課題であったが、最も大切なレッスンであった。』