ヨハネ18章28節~40節 「ピラトの裁判」

 聖書のエキス 

イエス様はユダヤ人指導者によってローマの総督ポンテテオ・ピラトのもとに引き出されます。ユダヤには裁判権がなかったからでした。彼らは何としてもイエス様を罪に定め葬り去ろうと考えていました。ピラトはイエスにローマ法から見れば罪がないことが分かっているにもかかわらず身の保身からイエス様を死刑に定めます。群衆はイエス様が力を失ったとみて力のありそうな非情な男で強盗のバラバを恩赦に選びます。ユダヤ人指導者は、様々な手練手管を用いてイエス様を亡きものにしようとしたことが記されています。ここには人々がイエス様を裁くのではなくイエス様の前に罪の罪状書きがしたためられているのをみます。

 主よ。どうぞ私の心を悪に傾かないようにお守りください。そう祈りながら歩みたいものです。

「馬と少年

cs・ルイスの『ナルニヤ物語』の中で馬と少年と云う話があります。面白いことに馬のほうが主役と云うちょっとひねった本になります。その馬はナルニヤの馬で人間のように口がきけ人間のようによく考えることが出来ました。小さい時にさらわれ奴隷の国に住んでいましたが、そこから逃げようと逃亡を図ります。その途中で仲間を見つけ逃亡の旅を続けることになります。その馬の名前はブレーと云うのですが、彼は自分がいかに優秀か、勇敢であるかをことあるごとに仲間に語り、仲間のひとりである少年に教え指導していました。そんな時に事件が起こりました。ライオンに追いかけられ彼らは命からがら逃げだしました。仲間の一人がライオンに襲われそうになった時、弱いと思っていた少年が仲間を助けますが、馬のブレーは恐怖に襲われ命からがら逃げだしたのです。彼の誇りは打ち砕かれナルニヤには行けないと恥じ入ります。その時、自分がうぬぼれていたかを思い知らされます。ナルニヤへの旅は自分を見つめ、本来の正しい自分への回復の旅でもあったのです。

それは私たちの天国を目指しての旅に共通します。主と共に歩むことを喜びたいですね。