ルカ17章1節~10節 「からし種の信仰」

信仰は二つの要素で成り立っています。一つは、信仰は神様がおられることを認めること、つまり神様がおられることを意識することです。

もう1つ大切なことは、神様が分かったなら神の言葉に従うと云うことです。これによって信仰は完成します。

昔の歌で『わかちゃいるけどやめられない』と云うのがありましたが、それは本当の意味では分かっているとは言えないのです。神を知ることは大切です。それに加えそのお方の声に素直に従うことも忘れてはいけません。悪魔も神を知っており神の言葉をもってイエス様を誘惑したのです。従順がなければ、信仰は良きものを失ってしまいます。ですから二つは切り離してはいけない関係にあるのです。

赤毛のアンと聖書

孤児であったアンがカナダのプリンスエドワード島のマリラの家にやって来ます。ある時マリラの大事にしていたネックレスが無くなります。マリラはアンが盗んだのではないかと疑います。実はそうではなくマリラの勘違いだったことが後でわかるのですが、マリラは非常に落ち込みアンを引き取ったことを後悔します。しかし気を取り直して『やりだした以上すんだことの愚痴(ぐち)などはこぼすまい』と意を新たにします。実にマリラらしいですね。原文では『私はもう鋤(すき)に手をかけたのだから後ろは振り向かない』です。これはイエス様が弟子に向かって一度弟子になる決心をしたら最後までやり遂げる決意をしなさいと云われたことばです。ルカ9章62節 『鋤に手をかけてから後ろを見る者はだれも、神の国にふさわしくありません』の言葉から来ています。マリラが聖書を読み、日常の生活の中で聖書を引用していることがよくわかる言葉です。この小説を書いたルーシー・M・モンゴメリー女史は牧師さんと結婚して牧師夫人の経験もある人でした。小説の中にもこういう聖書の言葉がさりげなく織り込まれているのはそういうことなのでしょう。

参考:『聖書を知ると映画後も…』