聖書箇所「創世記1章26節~29節」
説教題「人とは何者なのか」
説教 吉永功一牧師
聖書のエキス
フランス後期印象派画家にゴーギャンと云う画家がいます。彼は晩年、喧騒(けんそう)の満ちる都会の生活に嫌気がさしたのかも知れませんが、南国のタヒチ島に住みます。彼にとってそこは楽園であり人間らしい生活があると確信したのかもしれません。そこで彼の代表的な一枚の絵が描かれます。 題名は『我々は、どこから来たのか。我々は何者なのか。我々はどこに行くのか。』と云うものでした。実に人間の究極的問を含んだ哲学的作品でした。彼は、若かりし頃、教会の修道院に入り、神学的な問題に取り組んだことがありました。彼は年老いて死をまじかに感じるにあたりその問いが、心の底にしまわれていたのでしょう。むくむくとわいてきて人として最も大事なことを考えるようになったと思われるのです。そしてゴーギャンの問いのその答えは、聖書にあると私たちは言えるのです。
★★今週のこぼればなし★★
ムーチー
ムーチービーサと云う季節。餅についてこんなブログを見つけました。
『ユダヤ暦の1月15日は、イスラエルでは「種なしパンの祭り」で、その日から7日間続いた。また、この祭りは、新年を祝う祭りでもある。その祭りでは、人々は「種なしパン」を食べた.
「酵母を入れないパン」が「種なしパン」のことである。つまりパンを膨らませる「パン種」(酵母)を入れず、発酵させずに、こねて焼いたパンである。この「種なしパン」はヘブル語で「マツァ」といい、これこそモチのルーツであると思われる。実際に、材料を小麦粉ではなくモチ米で作れば、それはモチになる。
「マツァ」と「モチ」、発音も、作り方も、味も、そして祝い事の料理という目的も非常によく似ているのである。また、ひと昔前までは、沖縄で作られていたモチは、小麦粉を使っていたようなので、殆どイスラエルの「種なしパン」と同じものであっただろう。またイスラエルでは「マツァ」と一緒に、苦菜を添えて食べた。沖縄でも、モチと一緒に、ヨモギなどと一緒に食べる。掃除をして、新年を迎えることを意味していたのである。』
餠を食べながら古(いにしえ)の聖書の世界に心を向けるのも良いのではないでしょうか。