ヨハネ19章1節~16節「誰の権威で行動するのか」
イエス様は死刑の告発を受けた時、沈黙を貫きました。それでピラトは驚きながら『自分には赦す権威と罪に定める権威がある』と語ります。しかしピラトが予想もしなかった答えが返ってきます。イエス様は、『上の権威。すなわち父なる神の権威しか認めない』と云われたのです。そして意識的に天の神に逆らったユダヤ人指導者は罪が重いと語ります。その言葉を聞いてピラトは権威という本質的なものに触れ、上の権威を畏れる経験をしたのではないでしょうか。
彼は、イエス様を釈放しようとします。しかしユダヤ人指導者の脅しに屈して自己の安全とことなかれ主義の道を選びます。彼は、弱かったのです。ここからわかることは、上の権威を畏(おそ)れる者が最も強いと云うことではないでしょうか。もちろんそこには、謙遜さが伴います。神をまだ知らない人を知らないからと云って見下してはいけないでしょう。人々の前に謙遜であり神の権威を生き方の中心に置いて生きることが求められているのではないでしょうか。
馬と少年
ナルニヤ物語の5番目の作品です。
この本の題名が面白いのです。原文は『馬と彼の少年』と云うもので人間が主人ではなく馬が主人という凝った題名になっています。幼い少年が外国の地にさらわれ生まれ故郷の地に帰り着く物語ですが、もの言う馬の助けを借りて脱出をすると云う聖書の『出エジプト記』を思い出すような話になっています。
もの言うナルニアの馬は、異国のただの馬に比べ知性もずば抜けて優秀でしたので彼が気が付かないうちに鼻持ちならないほど思い上がってしまい。高慢ちきな馬になっていました。逃亡旅行の中で自分の姿がまざまざと示され謙遜さと素直さを取り戻してゆく物語になっています。
主人公ではない(実は主人公でもあるのですが)少年は、自分の国が嫌で逃げ出した王女様とめでたく結婚します。「二人は、末永く幸せに暮らしました。」とはならず、『喧嘩を事あるごとにしては仲直りをする生活をしました。』とルイスは書いています。読者の子どもに物語であってもその中にある真実や現実を示すルイスの誠実さを見ます